■学びの機会の喪失
学習障害の認知度はここ数年で上昇しましたが、障害名が知られるようになっても、その病態について完全に理解されているとはいえません。むしろ誤解も多く存在しているのが現状です。「読み書き」や「計算」は何度も練習すればできるようになる、という誤った認識から、効果の上がらない反復練習をさせられ無力感に陥る事例も存在します。それに加え、学習障害は根本的に「気づかれにくい」という問題を抱えています。
学習障害が気づかれるのはたいてい小学3年生前後です。「学校の宿題がなかなか進まない。」「テストの点数が上がらない」という問題が起こり、保護者が必死に勉強を教えようとしますが効果が上がらず受診することになります。
問題なのは、学習障害の診断が下される時点で学習の遅れがすでに広がっており、治療が開始されても他の生徒に追いつけないほど学習の困難さを抱えている可能性が高いことです。成績の問題が中心となる学習障害は、行動の問題が顕著な他の発達障害と異なり問題に気づかれるのが遅くなる傾向があります。発見が遅くなれば当然、支援的介入の時期も遅くなります。
さらに、学習障害の子どもの中には、学校教育に不適応を起こしてしまい、不登校になった結果、学習における空白期間を抱えてしまう子も少なくありません。情緒障害通級指導教室の実態調査によると、通級指導学級に通う発達障害のある小・中学生の多くが不登校になっているといいます。
また、東京都内の情緒障害通級指導教室に通う学習障害と診断された小学生の11.1%、中学生の50%が不登校となっていることも報告されています。大学進学に至るまでの小中学生の期間に学習障害児が学習機会を失い、進学という選択を断念しているケースもあるといいます。このことからも学習障害児が学びの機会の喪失に直面していることがわかります。
■障害の社会モデル
では、学習障害の子どもたちが学習の機会の喪失に遭遇してしまうことは「しょうがない」ことなのでしょうか?ここで障害というものの捉え方について述べたいと思います。
例えば、足の不自由な方が車椅子を利用しているとします。この場合、何が障害になるのでしょうか。立って歩くことができないことでしょうか。しかし、車椅子があれば移動が可能です。高い所に手が届かないという意見もありそうです。
ところが、これも手に取りたいものが手の届く場所にあれば問題ありません。車椅子を利用している方の「障害」は、身体的な障害のみで起こっているわけではありません。何らかの状況が加えられて起こるものです。
具体的には、段差がある場所を移動しなければならない状況で「障害」が発生します。また、高い場所に物が置かれある環境で「障害」に直面することになります。一般的には「歩けない」「目が不自由」 「耳が聞こえない」といった身体機能の制約を「障害」と捉えられる傾向にあります。
しかしながら、階段など段差しかない環境や高い場所に物が置かれた状況など、社会での環境のあり方・仕組みが「障害」を作り出しているのです。
このような障害の捉え方が「障害の社会モデル」です。社会こそが「障害」を作っており、それを取り除くのは社会の責務だとする立場です。
この逆の捉え方が「障害の個人モデル(医学モデル)」というものです。障害の個人モデルは、障害や不利益、困難の原因は個人の心身機能が原因であると捉えます。つまり、障害者が困難に直面するのは「その人に障害があるから」であり、その困難を克服するのはその人に責任があるという考え方です。
社会には身体や脳の機能に制約のある多様な人々がいるにもかかわらず、社会はそのような人々の存在やニーズを無視して成立しています。学校や職場、町や地域のつくり、制度や文化など、どれも健常者を基準にしたものであり、そうした社会のあり方こそが障害者に社会的不利や困難さを強いていると考えるのが「社会モデル」です。障害があるから不利益を被るのではなく、「障害とともに生きることができない環境や状況だからこそ不利や困難が生じる」と言えます。学習に関する困難も「環境によって生み出されている」と考えることができます。
「文字や文章を正確かつ流暢に読めない」という制約は、知識のインプットをする手段が文字情報しかない環境によって生み出されます。「字を書くのに時間がかかる」という制約は、自分の考えを表現する手段が書字しかないという状況が引き起こしています。子どもたちの多様なニーズを満たすためには、「学習に関する困難や不利益は環境によって引き起こされる」という社会モデルに則った考え方が非常に重要になります。
■「印刷物障害」とは何か
アメリカには「印刷物障害」という概念が存在します。今でこそインターネットが普及していますが、一昔前までは本や新聞、雑誌といった紙の印刷物が情報を伝える媒体として広く普及されていました。紙の印刷物に書かれた情報にアクセスすることが難しい人に不利益が発生する状態を「印刷物障害」と表現しています。
いうまでもなく、印刷物障害は障害の社会モデルに即した考え方です。情報を得る手段が印刷物しかない環境によって障害が生まれるという考え方です。紙の印刷物に書かれた情報にアクセスすることが困難な場合は印刷物以外の媒体、例えばスマートフォンやタブレットを用いることで障害を除去することができます。
障害の社会モデルの視点に立つと、「書くこと」の困難さも文字を手書きすることを前提にしているために引き起こされていると考えられます。書字が苦手であったとしてもパソコンやタブレットを使ったキーボード入力という手段があります。後述しますが、一定の条件を満たしていれば授業やテストでキーボード入力を用いることも可能な場合があります。キーボード入力による学習によって大学に合格した生徒も存在します。手段にとらわれるのではなく、学習の本来の目的を忘れないことが重要です。
障害を医療モデルで捉える限り,治らないものを「障害」と呼ぶため、障害はなくすことができません。しかし、先述したように障害を社会的モデルで捉えると、社会を変えることができれば障害はなくすことは可能だという認識に変わります。